大野城 (福岡県大野城市)
★★登城31城目★★ 訪問日:2010年3月22日
【通称】 なし【城郭構造】 山城(古代朝鮮式)
【天守構造】 なし
【築城主】 大和朝廷
【築城年】 天智4年(665)
【主な城主】 不明
【廃城年】 不明
【遺構】 石垣、土塁、門跡、礎石群
【指定文化財】 国特別史跡
北は博多湾から南は筑後方面を眼下に納める絶好の場所に立地し、山頂と山腹に土塁が、谷間には石垣が
構築されている。
また、山頂や稜線を土塁や石塁で取り囲んだ城郭内には食糧の備蓄や居住に利用されたと考えられる70棟
余りの建物の礎石が残されている。
構築されている。
また、山頂や稜線を土塁や石塁で取り囲んだ城郭内には食糧の備蓄や居住に利用されたと考えられる70棟
余りの建物の礎石が残されている。
四王寺山の山中には、現在も至るところに石塁や礎石群が残っています。
それでは、古代山城の遺構を求めて散策してみましょう!
それでは、古代山城の遺構を求めて散策してみましょう!
太宰府から林道を登ってくると大宰府口城門に辿り着きます。
この城門は、大宰府政庁側に位置し、幾つかある城門の中でも規模が最も大きいことから大野城の正門では
ないかと考えられているそうです。
城門に接して左手には石塁(水の手口石塁)が、右手には土塁が築かれています。
明らかに人口的な土塁や石塁が張り巡らされている様子に、当時の緊張感を感じることができます。
この城門は、大宰府政庁側に位置し、幾つかある城門の中でも規模が最も大きいことから大野城の正門では
ないかと考えられているそうです。
城門に接して左手には石塁(水の手口石塁)が、右手には土塁が築かれています。
明らかに人口的な土塁や石塁が張り巡らされている様子に、当時の緊張感を感じることができます。
城門から少し歩くと、尾花礎石群(上写真左)という建物の跡が。
食糧や武器を保管する倉庫として建築されたものだそうです。
近くには、焼米ヶ原(上写真中)というところ。
なんでも、昔ここに建物があり、火災で焼けたという言い伝えがあるそう。
辺りを探せば、黒く炭化した米や麦が見つかるそうです。
しばらく地面を探してみましたが、残念ながら発見できませんでした。
なんでも、昔ここに建物があり、火災で焼けたという言い伝えがあるそう。
辺りを探せば、黒く炭化した米や麦が見つかるそうです。
しばらく地面を探してみましたが、残念ながら発見できませんでした。
ここからの景色も最高です。
八ツ波礎石群という建物の礎石跡。
結構な広範囲に、四角く区画された礎石の跡があります。
どんな役割の建物が建っていたのでしょうか?
結構な広範囲に、四角く区画された礎石の跡があります。
どんな役割の建物が建っていたのでしょうか?
さらに先に進むと、大野城最大の見どころ百間石垣が見えてきます。
どどーんと長大な石垣が奥まで続いています。
谷間に当たるところは、土塁ではなく、石を積み上げてダムのような石塁を築いているそうです。
こんな石塁や土塁が、山をグルっと取り囲んでるというんだから、相当な労力がかかっただろうな。
この百間石垣をはじめ、大野城の多くの石垣が、近年の集中豪雨で被害を受けたのだそう。
復旧工事で今の姿まで復元したそうで、工事にあたった方にも頭が下がります。
どどーんと長大な石垣が奥まで続いています。
谷間に当たるところは、土塁ではなく、石を積み上げてダムのような石塁を築いているそうです。
こんな石塁や土塁が、山をグルっと取り囲んでるというんだから、相当な労力がかかっただろうな。
この百間石垣をはじめ、大野城の多くの石垣が、近年の集中豪雨で被害を受けたのだそう。
復旧工事で今の姿まで復元したそうで、工事にあたった方にも頭が下がります。
道を挟んで反対側には、北石垣(上写真右)という大きな石垣も。
四王寺山の名前の由来となった、四王寺の跡(上写真右)。
その先に大石垣という名前の通り大きな石垣があるんですが、標識に従って歩くと急斜面が。。。
でも確かに下には石垣らしきものが見えます。
でも確かに下には石垣らしきものが見えます。
滑り落ちるようにして、斜面を下るとありました大石垣。
この石垣も大雨の被害を受けて、修復されたものです。
とはいえ、高さも長さもなかなかのもの。
下って来た斜面も、どうやら石垣の上だったみたいです。
この石垣も大雨の被害を受けて、修復されたものです。
とはいえ、高さも長さもなかなかのもの。
下って来た斜面も、どうやら石垣の上だったみたいです。
最後は増長天礎石群。
土塁に囲まれた、建物跡がいくつかあります。
食糧庫として使われたそうです。
すぐ近くには円形の井戸跡、鏡池(上写真右)。
池の底には鏡が沈んでいるそうで、日照りが続く時には、この池に沈んでいる鏡を取り出して雨乞い
をしたといわれています。
今でも、水が湧きだしています。
土塁に囲まれた、建物跡がいくつかあります。
食糧庫として使われたそうです。
すぐ近くには円形の井戸跡、鏡池(上写真右)。
池の底には鏡が沈んでいるそうで、日照りが続く時には、この池に沈んでいる鏡を取り出して雨乞い
をしたといわれています。
今でも、水が湧きだしています。