能島城 (愛媛県今治市)

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★★登城33城目★★ 訪問日:2010年4月4日

【通称】 なし
【城郭構造】 水軍城
天守構造】 なし
【築城主】 村上雅房
【築城年】 応永26年(1419)
【主な城主】 能島村上氏
【廃城年】 天正13年(1585)
【遺構】 曲輪、岩礁ピット跡
【指定文化財】 国史

解 説

戦国時代、瀬戸内海を制圧した三島村上氏(来島・因島・能島)。
その能島村上氏の本拠だったのが能島城である。
城の築かれた能島と鯛崎島は周囲長1km余りの小島で、島全体を三段に削平して曲輪を形成している。
本丸、二の丸、三の丸があり、東の尾根には矢櫃、南には東南出丸、能島のすぐ南の鯛崎島も頂部を
削平し曲輪が展開する。

城の構造は簡素で、通常の山城に見られる土塁や堀切は確認されていない。
周囲には最大10ノット(時速約18km)の複雑な潮流が取り巻き、渦巻く急流を天然の要害としている。

なお、能島には水が得られないことから、近傍の鵜島や木浦から補給していたとされる。
対岸の宮窪には「幸賀屋敷」をはじめいくつかの城跡があり、これらが連携して本拠を防衛する
城塞網を構成していたと思われる。

感 想

瀬戸内海に浮かぶ能島に築城された能島城
戦国時代に瀬戸内海一の水軍勢力を誇った海賊衆、能島村上氏の城です。

一番上の写真は、対岸の山頂にあるカレイ山展望台から能島城を眺めたもの。
手前左側の島が「能島」、右側の小さい島が「鯛崎島」です。
この二つの島には、お城だった当時は橋が架かっていたそうです。
能島の奥に見えるのは「鵜島」という島で、先端の砂浜になってるところには造船所があった
と言われています。

能島は無人島で、通常は定期船等の交通手段がなく上陸できません。
でも毎年4月、能島の桜が満開になった週末の2日間、「能島の花見」というイベントが
開催され、シャトル便が運航されます。

今回は、そのシャトル便に乗って能島城に登城しました!

宮窪港から船に乗って、5分ほどで能島に到着します。
コバルトブルーの海の色が綺麗です。
島に入ると、地元の子供たちが郷土芸能 能島水軍太鼓でお出迎え。
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今回は海賊のお城ってだけで、なんだかテンションが上がります(笑)
城跡に建物は残っていませんが、曲輪がよく残っています。
左下の写真は、矢櫃という弓矢の訓練を行う場所だったとか。
戦国時代のお城らしく、矢の材料となる矢竹が植えられています。
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瀬戸内の青い海と島々に囲まれて桜を見るというのもいいものです^^

能島の海沿いを歩いていると、岩礁に左下の写真のような穴がいくつも見つかります。
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これは岩礁ピットと言って、繋船施設の柱穴跡なんだそうです。
上の右の写真のように、船を繋いでいました。
城全体で400基近くあるそうです。

そして能島城の特徴はなんといっても、島を取り巻く潮流です!
宮窪に戻って、村上水軍博物館の前にある船乗り場から、能島周辺の潮の流れを間近で見られる
潮流体験」という船が出港しています。
こちらは年中運航。

さっそく乗船します。

能島周辺に付くと、海の水が川のようにゴーゴーと流れています!
波立ってるのは船のあとじゃありません。
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途中、船のエンジンを止めるイベントがあるんですが、潮流に流されて船が横滑りするんです!
「湧き潮」や「うず潮」も見ることができました。
満潮、干潮時はもっとスゴイそうですよ。
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この潮流に囲まれていれば、敵の船は容易には城に近づけないでしょう。

このあたりは瀬戸内海の主要航路でもあったそうで、一般の船舶には潮流を熟知した海賊衆が
水先案内人を務めて、お金を稼いでいたんだそうです。

中世の瀬戸内を駆け回った海賊達の城。
取り巻く潮流は当時のまま、激しく流れています。

見どころ

曲輪、岩礁ピット、海蝕テラス、潮流

情 報

住 所:愛媛県今治市宮窪町宮窪
移 動:大島BS~島内バス「宮浦港バス停」下車~臨時船5分
特産品:海産物、水軍太鼓(菓子)

Photo

 写真01:南部平坦地/写真02:三ノ丸/写真03:二ノ丸
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 写真04:二ノ丸と本丸/写真05:本丸/写真06:東南出丸
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 写真07:矢櫃/写真08:船隠し/写真09:鯛崎出丸
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 写真10:海蝕テラス/写真11:桟橋柱穴/写真12:幸賀屋敷跡
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