徳島城 (徳島県徳島市)
★★登城17城目★★ 訪問日:2009年8月16日
【通称】 渭山城、渭津城【城郭構造】 梯郭式平山城
【天守構造】 不明(1588年・非現存)
【築城主】 蜂須賀家政
【築城年】 天正13年(1585年)
【主な城主】 蜂須賀氏
【廃城年】 明治2年(1869年)
【遺構】 石垣、堀、庭園
【指定文化財】 国史跡、国の名勝(表御殿庭園)
(出典:ウィキペディア)
徳島城である。
山頂の本丸や東二の丸、西二ノ丸、西三の丸からなる詰の城部分と、本丸御殿が置かれた麓の
「御屋敷」と呼ばれた部分からなる、戦国時代を思わせる縄張であった。
初代の天守は元和年間(1615~24)に取り壊されたと言われ、その後天守は山頂の本丸ではなく、
一段下がった東二の丸に建てられたが、これは極めてめずらしい例であった。
場内を巡る石垣は「阿波の青石」と呼ばれる緑色片岩によって築かれており、徳島城の特色の
ひとつである。
「御屋敷」には表御殿庭園がつくられたが、現在も当時のまま残り、国の名勝庭園に指定されている。
解 説
豊臣秀吉から阿波国を与えられた蜂須賀家政が、吉野川河口の標高62mの渭山に築城したのが徳島城である。
山頂の本丸や東二の丸、西二ノ丸、西三の丸からなる詰の城部分と、本丸御殿が置かれた麓の
「御屋敷」と呼ばれた部分からなる、戦国時代を思わせる縄張であった。
初代の天守は元和年間(1615~24)に取り壊されたと言われ、その後天守は山頂の本丸ではなく、
一段下がった東二の丸に建てられたが、これは極めてめずらしい例であった。
場内を巡る石垣は「阿波の青石」と呼ばれる緑色片岩によって築かれており、徳島城の特色の
ひとつである。
「御屋敷」には表御殿庭園がつくられたが、現在も当時のまま残り、国の名勝庭園に指定されている。
(出典:日本100名城公式ガイドブック 学研)
朝から一宮城(山城)に登城したあと、徳島駅前でレンタサイクル(半日300円)を借り登城。
鷲の門から入って徳島城博物館で100名城のスタンプを借りて押印。
城跡は石垣がしっかり残っていて、緑色で苔が生した石垣道を歩くと歴史風情に浸れます。
天守跡まで城山を階段で登りますが、前日の阿波踊り最終日で歩きすぎ&踊りすぎたのと、午前の
一宮城登城後だったこともあり、かなりキツかったです。
石垣のみで復元建物は鷲の門くらいですが、往時を思いながらの散策をしました。
移 動:JR「徳島駅」~徒歩 or レンタサイクル or バス
特産品:阿波踊り、徳島ラーメン、阿波尾鶏、金長まんじゅう、鳴門わかめ、鳴門金時
写真04:下乗橋/写真05:大手門枡形/写真06:太鼓櫓跡
写真07:月見櫓跡/写真08:旗櫓跡/写真09:数寄屋門跡
写真10:数寄屋橋/写真11:弁天池/写真12:東二の丸跡
写真13:天守跡/写真14:本丸石垣/写真15:本丸跡
写真16:弓櫓跡/写真17:西二の丸石垣/写真18:西二の丸跡
写真19:張櫓跡/写真20:西三の丸跡/写真21:石垣
写真22:表御殿庭園(1)/写真23:表御殿庭園(2)/写真24:蜂須賀家政像
感 想
香川・徳島旅行3日目に登城。朝から一宮城(山城)に登城したあと、徳島駅前でレンタサイクル(半日300円)を借り登城。
鷲の門から入って徳島城博物館で100名城のスタンプを借りて押印。
城跡は石垣がしっかり残っていて、緑色で苔が生した石垣道を歩くと歴史風情に浸れます。
天守跡まで城山を階段で登りますが、前日の阿波踊り最終日で歩きすぎ&踊りすぎたのと、午前の
一宮城登城後だったこともあり、かなりキツかったです。
石垣のみで復元建物は鷲の門くらいですが、往時を思いながらの散策をしました。
見どころ
石垣、表御殿庭園、鷲の門情 報
住 所:徳島県徳島市徳島町城内1 ほか移 動:JR「徳島駅」~徒歩 or レンタサイクル or バス
特産品:阿波踊り、徳島ラーメン、阿波尾鶏、金長まんじゅう、鳴門わかめ、鳴門金時