湯築城 (愛媛県松山市道後)

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★★登城2城目★★ 訪問日:2008年08月13日

城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:なし
築城主:河野氏、小早川氏、福島氏
築城年:14世紀前半
主な城主:河野氏
廃城年:1587年
遺構:土塁、堀
指定文化財国史

(出典:ウィキペディア)

解 説

 南北朝期初頭にはじめて資料上に姿をみせる湯築城は、室町期以降、伊予国守護所として河野氏
伊予統治の中心となった。
 戦国期の天文4年(1535)に河野弾正少弼道直が温付堀(現在の外堀か)を築造し、2重の堀をめぐらした
より堅固な城となった。
 天正13年(1585)に秀吉の四国平定の際、河野氏最後の当主道直は、城をあけわたし、河野氏の伊予
支配は終わった。
 湯築城は秀吉配下の福島正則が伊予の大名として入部したのち、廃城となったようである。

(出典:日本100名城公式ガイドブック 学研)

感 想

道後温泉本館から少し歩いたところにある、道後公園
この場所に、湯築城と呼ばれる山城がありました。

道後公園には、少し前まで動物園があったそうで破壊されてしまった遺構もあるみたいですが、
近年、残された遺構の発掘・調査がおこなわれ復元整備がされてきました。

山城を訪ねるのが初めてだったので、お城といえば石垣と天守閣があるもの。と思い込んでいた
僕は、「こういった城跡もあるんだ!」と衝撃を受けました。

湯築城の縄張りは円形で、周りを外堀がぐるりと囲み、それに沿って外堀土塁があります。
当時、搦手門だった現在の公園入り口から中に入ると、長く続く外堀土塁が見事です。
土塁の中が見れる土塁展示室なんかもあって面白い。

搦手門跡から左に進むと、その先は復元区域になっていて、当時の武家屋敷などが復元されています。
屋敷は以外とシンプルな造りだったようです。内部も当時の連歌会の様子が再現されていました。
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湯築城の要所は、中心の丘陵地にあったようですが、その丘陵地の周りにも、内堀土塁が施され、
とても堅固な造りになっています。

この丘陵地は三段の平坦地から構成されていて、古図を見ると、
丘陵地の最高所にある現在は展望台が作られている平坦地が本檀
続いて、少し下ったところに中檀
そして更に下って、長細く、丘陵地で一番広い平坦地杉の檀があります。

当時、ここには大きな二本の杉の木があったことから、杉の檀と呼ばれたらしいですが、
この杉の檀には、こんな伝説もあります。

奥方に化けた古狐
3代目の河野道直が城主の頃のはなし。
ある日、道直の奥方が、急に二人となって現れた。
瓜二つで見分けがつかず、道直はしかたなく二人一緒に座敷牢に閉じ込めた。
そして4日目の朝、空腹になった時を見計らって食事を与え、その様子を詳しく観察していると、
一人がガツガツと耳を動かして食べだした。
直ぐに取り押さえ縄をかけたところ「古狐」の姿になった。
立腹した道直が、その古狐を館の庭の二本杉に縛り付けて火あぶりにしようとしたところ、
大小3千匹の狐が現れ、
「この狐は貴狐明神の子孫で四国の狐の統領です。今焼き殺されると、ご領内に必ず災いがおこります。
お助けくださればきっとご恩に報います。どうかお助けを・・・」
と命乞いをした。
それを聞いた道直は、狐の一族が四国から出て行くなら許してやるという約束の証文を取って狐を追放した。
これにより四国には狐が居なくなり、狸天国となったという。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kimuyasu10/20010101/20010101012320.jpg道後公園の北側には、「湯釜薬師」と呼ばれる石造湯釜が置いてあります。 これは、現在の道後温泉本館が建つまで、前の温泉場で使われていたものなんだそうです。

資料館のおじさんも気さくにいろいろ教えてくれて勉強になりました。
あと、湯築城のスタンプラリーもやっていて、全部集めたら湯築城手拭いをもらえました。
整備されていて、とても見学しやすいお城でした。

見どころ

復元武家屋敷、土塁(内部展示もあり)、堀

情 報

住 所:愛媛県松山市道後公園
移 動:JR予讃線 松山駅伊予鉄市電「道後温泉行き」で「道後公園駅」下車
特産品:坊っちゃん団子、タルト、潮煎餅

Photo

 写真01:東側外掘/写真02:外堀土塁/写真03:大手門跡
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 写真04:遮蔽土塁/写真05:搦手門/写真06:排水口・外堀土塁裾石
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 写真07:家臣団屋敷/写真08:復元庭園/写真09:上級武士屋敷
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 写真10:上級武士居住区/写真11:内堀土塁/写真12:内堀
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 写真13:岩崎神社/写真14:杉の壇/写真15:中檀土塁
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 写真16:中檀/写真17:本檀/写真18:本檀展望台からの眺め
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